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君を捉う傷痕



月影に隠れて彼女が泣いていたのをカイトは知っている。
二人きりの部屋、同じベッドの上、メイコはカイトに触れながら泣いていた。




黒い空を縁の鋭い下弦の月が裂いている。
天辺近くを裂いた冷やかな白い光は窓を透かして床に落ち、それはベッドまでは届かない。暗がりに慣れた目がようやく手の届く範囲を見渡す程度だ。
音は衣擦れと押し殺せない吐息、小さな唇が鳴らす濡れた音。二人の立てる以外は、夜の鳥も夜風も眠りについたかのように、あるいは息詰めて黙すかのように静まっていた。
カイトは手を伸ばした。足元に蹲るメイコの、柔らかな胡桃色の髪に触れる。カイトは枕を重ねそれに背を預け、メイコはその足元に蹲り、彼のない足を取っていた。
普段は義足を履き、靴を履き、目立たせるようなことはないがカイトの左足は踝の少し上から切り落とされている。身の回りを整えさせる従者にも触れさせないが、メイコは別だ。その指に優しく撫でられるたび、自分の口許が薄く笑んでいくのを感じていた。
メイコ自身が言うように、小奇麗な絹布に包まれた指ではないだろう。長さは不揃い、剥がれた爪は炎熱に引き攣れた肌の上で、角質の塊ほどになって残っただけの指もある。その上の長年の水場周りの仕事で掌も硬く、僅かばかりでも効があればと身嗜みの世話係に香油を揉み込まれながら気恥しげにしているのを度々見た。
それでもカイトには世界で一つ、愛しい指先だ。我が身を顧みない清廉な掌だ。その手に触れられているかと思うと湧き上がる愉悦を抑えられない。
欠いた指がなぞる欠いた足先。断面には神経が残るようでぞくりとする。胡桃色の髪を撫で梳くと、足に息をかける密やかさでメイコが囁いた。
「ごめんね、カイト」
悔いた声音に濡れた響きはない。それでも彼女が涙していたのを知っていた。
メイコは顔を上げない。かかる髪が頬と眦を隠す。俯いたまま、メイコはカイトの足に唇を付けた。柔らかく湿った、温かな感触が皮膚を引いて攣れた断面に触れる。メイコの髪に触れさせていた手が思わず跳ねた。
優しい歌を紡ぎ、カイトの名を呼ぶ唇が傷跡の断面を愛しんでいるのだ。跪いて両手で首から先のなくなった足を取り、小さな舌をちろりと覗かせる。仔犬が差し出された指先をそうするみたいに甘く舐めた。
ちろりちろり舌先が触れる。強張った掌や潰れて落ちた指先で撫でながら、傷口に丁寧に舌を這わせる。切断面は医者の手に依るものだが、カイトの足にも梁の乗った痕がある。同じ火に焼いた傷口が触れ合う。
唇で少し食んで、メイコはそうすることでその傷が癒えぬかと敢え無く願っているんだろう。獣が同胞にそうするように。けれど。
「メイ、コ」
髪から輪郭を撫で下ろし、細い頤を取ってカイトは呼んだ。メイコはそっと、月影で隠すように顔を背けて目元を拭う。構わないんだよ、とカイトは呼んだ。
気を狂わせたかのように焼けた瓦礫を掻いて除け、肉と骨を覗かせながらカイトの幼い手を引いた。その手のやわさと濡らした血の温かさを覚えている。
同じ火の傷痕。
傷一つが、二人を繋ぐなら。
「構わないんだ……」
この傷一つで貴女を囚うなら。

貴女の他に失くすものなどない。



<了>